市民講座:話の聴き方を学ぶ(傾聴技法)」の研修生募集
2019年7月~12月の市民講座は、
毎月1回、成田市・千葉市・印西市の3拠点で開催します。
皆様のご参加をお待ちしております。
《成田会場》公津の杜コミュニティセンター(モリンピア)
「第2日曜日」13時~(富里市後援)
「第3日曜日」13時~(印西市共催・白井市後援)
市民講座:話の聴き方を学ぶ(傾聴技法)」の研修生募集
2019年7月~12月の市民講座は、
毎月1回、成田市・千葉市・印西市の3拠点で開催します。
皆様のご参加をお待ちしております。
《成田会場》公津の杜コミュニティセンター(モリンピア)
「第2日曜日」13時~(富里市後援)
KNさんからの投稿を紹介します。
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半年間、有意義な学びの時間を与えてくださりありがとうございました。
ある分野でお客様にアドバイスをさせて頂く仕事をしていますが、傾聴を学んで実感したのは、「聴かずして、その方にあったアドバイスはできない」ということです。
今後の仕事、子育て、私自身の人生に大変役に立つ学びだったと感じています。
ご一緒させて頂いた受講生の方々のお話しからも、色々な事を考えさせて頂きました。
この講座で学んだことは、何度も繰り返し学び続けたいと思います。
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〈私の感想〉
仕事で人の話を伺う機会が多いため、より良く聴けるよう勉強したいと思い講座に参加をしました。
授業では、講義だけではなく、実際に練習をするロールプレイングも多く取り入れられています。
聴くだけではなく話す機会も多く、最初は戸惑いましたが回数を重ね、緊張することなく話ができるようになってきました。年代も職業も異なる受講生からの様々な話を伺う貴重な機会となっており、聴く技術の向上だけではなく、視野の広がりを得られたように感じています。
仕事上だけではなく、日々の生活に役立つことも多く勉強を継続し、更に理解できるようになるのが楽しみです。
「特定非営利活動法人子供・若者支援センター」主催の市民講座に参加(80時間受講)、当法人認定資格「コミュニケーション認定」に合格し、現在は当法人の会員となって、カウンセリングの勉強や親子のコミュニケーション技法(ペアトレ)などで活躍中のお母さんから投稿がありました。
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『私が傾聴講座と出会ったのは、まだ上の子が中学2生、下の子が小学5年生の時です。
2人とも反抗期を迎えており、良かれと思い伝えた事も、私の思いを理解してくれる気配もなく、口論になってしまうばかりでした。
社会的にはこうした方が良いのに、なぜ解ってくれないんだろう! と子供との間に険悪な空気がありながらも、日々に流されて過ごしていました。
ある時、たまたま公民館で目にした傾聴講座のリーフレットを見て、傾聴って何だろう? 話を聞く勉強って何だろう? と惹かれるものがありました。
この時は、傾聴技法が私の周りの環境を変えてくれる一歩になるとは、思ってもいませんでした。
興味のまま講座に参加させていただきましたが、1回目の講座で人の話を聞く事の奥の深さに驚きました。
勉強が進むにつれ、日々の生活の中で、傾聴技法がたくさん使わている事に気づきました。
私は子供に、私の思いばかり押し付けてしまっていたのではないか?子供の思いをきちんと受け止めていなかった事に気づかされていきました。
以前は、子供も「お母さんは、お母さんが気に入らなければすべてがダメなんだ!!」と自分が否定されているような、発言が多かったのですが、最近はそのような事はなくなり、色々と自分の思いを話してくれるようになってきました。
私の子どもに対する接し方が、子供の話を途中でさえぎり私の意見を伝えてしまっていたのですが、まづ相手の話を聞き、「あ、そうなんだ!」「あなたはそう思うのね!」と共感(あいづち)するように心がけています。
現在も子供と何でも解りあえる良好な関係が築けているわけではありません。
もちろん意見の相違はありますが、お互いの人権を尊重することを基本に自分の考え方や意見を押し付けない、受容共感念頭に入れて、毎日を過ごすようにしました。 いつの間にか、家の中が少しづつ穏やかになっているのを感じました。
また、会社でも傾聴講座に行き初めてから、「以前より、良く話をよく聞いてくれるようになったと思う」と同僚にも言われる自分がいました。聞く勉強なのですが、会議での説明の仕方、話し方が上手になったと言ってくれる方もいました。
話を聞く事を意識していたら、話し方も上手になっていたようです。
意識して日々の生活の中で実践している事もあるのですが、それに伴って無意識に出来ていることが増えているようです。勉強していくうちに、自然に身についていくものなのかも知れませんね。
自分が変わる事で、いつの間にか、周囲の環境が良い方向に向いて行くような気がしています。そして何より、自分が生き易くなったような気がしています。
もう少し知りたい!もう少し解りたい!と思い参加し続けて3年になりますが、勉強し続ける事がとても大事だと、今は感じています。自分が変わると子供も変わる。自分が変わると夫も変わる。家族の雰囲気が変わる。不思議な気持ちですね。
SW
市民講座:話の聴き方を学ぶ(傾聴技法)」の研修生募集
平成31年1月~6月の市民講座は、
毎月1回、成田市・千葉市・印西市の3拠点で開催します。
皆様のご参加をお待ちしております。
《成田会場》公津の杜コミュニティセンター(モリンピア)
「第2日曜日」13時~17時(富里市後援)
市民講座:話の聴き方を学ぶ(傾聴技法)」の研修生募集
平成30年7月~12月の市民講座は、
毎月1回、成田市・千葉市・印西市の3拠点で開催します。
皆様のご参加をお待ちしております。
《成田会場》公津の杜コミュニティセンター(モリンピア)
「第2日曜日」13時~16時45分(富里市後援)
3月12日(日)成田会場(モリンピア)で、第3回・市民講座(話の聴き方を学ぶ:傾聴技法)が開催されました。
3月は季節柄、何かと忙しい時期なので、止む無く参加できないで残念ですとのメールを数名から頂きました。
参加された方は、皆さんの真剣さには驚くばかりでした。2、3回目ともロールプレーを主体に技法の1つを繰り返す練習方法をとりました。
受講者の感想は非常に解かりやすく、確実に体で覚えられたことが最大の効果ですとのお褒めの言葉を頂きました。
技法の習得は、1月から新方式「K方式(koyano方式)」を導入致しました。「K方式」とは、どのようなものでしょうか、少し説明をしておきます。
基本は、柔道の練習スタイルがベースです。「取り(投げる人=聞き手)」は、何回も「受け(投げられる人=話し手)」を投げて技法の感触を掴みます。
技法開始の順序は、先ず講師がどのようにやるかを説明します。次に、講師が受講者を相手に技法の見本をやります。同時に、補足的に説明も入れていきます。
受講者にやれるかどうかを確認します。受講者の納得の元、2名1組でロールプレーを実施します。
当法人が定めている【ロープレ「K方式」標準マニアル】とはどのようなものか、「1、講師の役割」「2、話し手の役割」「3、聞き手の役割」「4、《話し手・聞き手》双方の技法挿入」です。
興味のある方、講師のスキルを身につけたい方、是非、ご連絡下さい。
千葉会場の第1回市民講座はで、1月29日(日)開催しました。皆さん、お馴染みの顔で元気に集まって頂きました。
今回参加者は8名、そのうち4名が去年の講座から引続き参加している人達です。
継続参加者の方は、1~3年間(2回~6回受講)受講している人まで様々です。皆さん熱心な方ばかりで頭が下がる思いです。
新規参加者の方には、少し難しく感じると思っていますので、解らない点が出て来たら出来るだけその場で質問をして下さいと話しました。
そのお陰で、質問に答える時間が多くなって、最後の「聞き手の3つの必要要件(自己一致・受容・共感)」は、少ししか時間が取れませんでした。
その代り、理解しやすい資料を希望者に実費で用意して配布しましたら大変喜ばれました。
質問を多く受けることは、講師にとっても、継続の受講者にとっても理解が一層深まったのではないでしょうかと感じました。
そして、継続者には、質問をその都度、出して頂き深く考えられるように導いております。
講義内容としては、成田会場、印西会場と同じなので、今回は省かせて頂きます。
その代りと言っては何ですが、
「職業相談場所におけるキャリア理論及びカウンセリング理論の活用・普及に関する文献調査」(出典:独立行政法人労働政策研修・研究機構 資料シリーズ No.165)
から、ほんの一部抜粋したものを掲載致します。この文献は、私が読んだ中で一番素晴らしいと感じたものです。皆さんにも是非お勧め致します。
(1)個人にとって「現実とは何か?」
個人にとって、現実とは何か? 個人にとって、その人が受け止めている(以下「認知」という)世界が現実であり、個人は、その認知している世界のなかで生きている。
(例)
『アメリカ西部の道路を2人の男が夜中にドライブしている。すると、道の真ん中に、なにか、ぼんやりと浮かび上がった。1人は、あそこに岩がある、とギョッとする。 もう1人は、土地の者なので、いつものように風に吹かれている草が丸まっているだけだな、と別に慌てる様子もない』
・この例から分かるように、2人は、ともに同じ事態を観察している。しかし、反応は違う。
2人とも、自分が「認知」したままの現実に反応しているからである。このように人それぞれ、「認知」している現実は多様である。
だから、個人にとっての現実は、その個人にしか、その全体を知ることができないと考える。
・他者は、決して、その個人と同じぐらい完全に、その個人にとっての現実を知ることは、できないのである。
(理事長 小谷野)