千葉会場の第1回市民講座はで、1月29日(日)開催しました。皆さん、お馴染みの顔で元気に集まって頂きました。
今回参加者は8名、そのうち4名が去年の講座から引続き参加している人達です。
継続参加者の方は、1~3年間(2回~6回受講)受講している人まで様々です。皆さん熱心な方ばかりで頭が下がる思いです。
新規参加者の方には、少し難しく感じると思っていますので、解らない点が出て来たら出来るだけその場で質問をして下さいと話しました。
そのお陰で、質問に答える時間が多くなって、最後の「聞き手の3つの必要要件(自己一致・受容・共感)」は、少ししか時間が取れませんでした。
その代り、理解しやすい資料を希望者に実費で用意して配布しましたら大変喜ばれました。
質問を多く受けることは、講師にとっても、継続の受講者にとっても理解が一層深まったのではないでしょうかと感じました。
そして、継続者には、質問をその都度、出して頂き深く考えられるように導いております。
講義内容としては、成田会場、印西会場と同じなので、今回は省かせて頂きます。
その代りと言っては何ですが、
「職業相談場所におけるキャリア理論及びカウンセリング理論の活用・普及に関する文献調査」(出典:独立行政法人労働政策研修・研究機構 資料シリーズ No.165)
から、ほんの一部抜粋したものを掲載致します。この文献は、私が読んだ中で一番素晴らしいと感じたものです。皆さんにも是非お勧め致します。
(1)個人にとって「現実とは何か?」
個人にとって、現実とは何か? 個人にとって、その人が受け止めている(以下「認知」という)世界が現実であり、個人は、その認知している世界のなかで生きている。
(例)
『アメリカ西部の道路を2人の男が夜中にドライブしている。すると、道の真ん中に、なにか、ぼんやりと浮かび上がった。1人は、あそこに岩がある、とギョッとする。 もう1人は、土地の者なので、いつものように風に吹かれている草が丸まっているだけだな、と別に慌てる様子もない』
・この例から分かるように、2人は、ともに同じ事態を観察している。しかし、反応は違う。
2人とも、自分が「認知」したままの現実に反応しているからである。このように人それぞれ、「認知」している現実は多様である。
だから、個人にとっての現実は、その個人にしか、その全体を知ることができないと考える。
・他者は、決して、その個人と同じぐらい完全に、その個人にとっての現実を知ることは、できないのである。
(理事長 小谷野)